The Threads of My Name    ~ truth, hope and... ~

The days of weaving a tapestry with my feathers

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パズル

「怖がらないで 歩き続けて」



「誰か」を嫌いだと思うとき、それは「私」が嫌いなんや。

私が、嫌いな自分。自分の嫌いなところ。


その人はいつも見せてくれてる。


その人が嫌いなんじゃない。


自分が嫌いなんや。


見たくないものを、いつもいつも見せつけられる。

見ないふりをすればするほど。


「逃げろ」

と、私の内臓すべてが云う。

脈拍が上がって、手が冷たくなって、そして胃が痛み出す。

私の水分がどんどん染み出していって、ちっちゃな私ができあがる。


・・・誰にも見つかりませんように。


私が、この世で一番わからない。



嫌い と 好き は、きっと全く同じものや。


どちらにしても、自分を見る。



好きとは、「欠けている」ということ。

英語の Want は、原義で 「欠けている」。


好きなのは、


自分が実現したい、なにか。

羨望の眼差しで見つめる、なにか。


そして、同時に

「無い」 と言うことを、私に伝える。



嫌いとは・・・


「あるもの」


飛び抜けて、突出して、過剰にあるもの。


相手を見てるんじゃない。

相手のその突出して、目に付くところを・・・見てるんじゃない。


目に付くのは、気付いてしまうのは、よく知ってるから。

子供の頃から、慣れ親しんできた、自分そのものなんや。


喪失感とはちがう。余計に過剰にあるもの。



もし私が、ただ私であれば、


誰も嫌いにならない。

誰も好きにならない。



あらゆるピースを浮かび上がらせる。


「無い」 と思うことで。

「ある」 と思うことで。



でも・・・きっと・・・

ピースはなにひとつ欠けてない。


ほんとは、きっとそう。


私たちは、ピースでありながら、またそれ自体が

完全なひとつ。


それでも、探しに行かないといけない。


自分が一番分からんから。


そして・・・わからんから・・・


みんなが傍にいてくれるんやろう。


みんなの 「無い」 と 「ある」 をはめ込む 壮大なパズルや。


そして、その完成図を私はもう見てると思う。


みんな見てると思う。



ピースも、その完成図も、


いつもみんなが教えてくれる。


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