The Threads of My Name    ~ truth, hope and... ~

The days of weaving a tapestry with my feathers

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証明

永遠を証明できるかな。

私が今ここにいることを、証明できるかな。

無限を証明しようとした数学者は
みんな狂ったらしい。

何を見たんやろう。

自分が存在することを証明できなかったのかな。

私が今生きてることを、証明できるのかな。


存在。

今、電車の中から外の景色を見てる私は、

・・・いるの?


みんな忙しそう。
どこに行こうかな。



あなたとわたしに、境界線があるから、わたしはわたしやと思える。
・・・境界線、が、あると思ってるから。

わたし。

わたしは、
あなたから跳ね返ってくる、幻影。

あなたがいないと、わたしはなにもないんやろう。

あなたが跳ね返してくれないと、何も見えないんやろう。

何ひとつ。

でも、あなたはわたしじゃない。

あなたが跳ね返す、見たこともないわたし。

そして、わたしは初めてわたしに出会う。

「はじめまして、なかよくしてね」


・・・でもそれは、ほんとにわたしかな・・・・


わたしが生きてることは、5つの窓を通してしか感じられない。

わたしはそれを通して、外の世界を見てる。

見て、嗅いで、聞いて、味わって、触る。

生きることは、感じること。

外がなければ、わたしは何もないのかな。


子供の頃、眠る間際に、死んだら何もなくなると思って、
永遠に続く暗黒の中にただただ漂うんやと思って、
怖くて父さんと母さんに泣きついたことがある。

「わたしは、いつか死ぬの?」

子供は知ってるんやろう。
きっと、まだ覚えてるんやろう。

わたしは何度も何度も死んだんやろう。


でも、死ぬことがどんなことなのか分からない。

死ぬことは、苦しいこと?

あまりにも、苦痛と結び付きすぎていて、
死ぬことは嫌やと思う。

もう、苦しみながら死ぬのはやめたい。

苦しみと死は、共にあるものじゃないんやろう。

生きることこそ、きっと苦しみなんや。


延命までして、生きるということ。

長生きをするのは、未だすることがあるから・・・

昔の人が短命やったんは、
ほんとに医療や衛生のせいかな。

そのことと、

今、自分がなんのために生きてるのか分からん人が多いこととは、
関係があるような気がする。


死ねない・・・んかな。


苦しんで死ぬのは、未だやり残したことがあるから。

葛藤があるということ。

生きるとは、それが無くなるまで、しっかりと無くなるまで、
生きるってことなんかな。

ホメオパシー治療を受けながら死んでいく人は、
死の瞬間まで、意識を保てると聞いた。
最後のその瞬間まで、ちゃんと自分と向き合うことができるということや。

最後の最後に、しっかり天寿を全うしたら、
死の瞬間、人は葛藤が無くなるんかも知れん。
すべてを、許せるのかも知れん。

だから、最期の一瞬まで生きないといけないんや。
逃げずに。
死ぬことからも、生きることからも、最後まで逃げずに。


きっと私たちは、本当はそんなに長く生きなくてもいいのかも知れないし、
同時に、本当は何百年も何千年も生きないといけないのかも知れない。

そして、だからこそ死ぬんやろう。

そうするしかないんやろう。
私たちは、繋ぐことを選んだんや。
長く長く、何千年も生きられるように。

途切れずに、確実に繋げていく方法。

伝え、繋ぐ。  子孫へ。
彼らの中で、続きますように。

永遠を。


母が、教育とは「文化の継承」だと、教えてくれた。
父が、私たちは今、歴史の頂点にいるんだと、教えてくれた。


それはきっと、まっすぐに続く一本の線じゃない。


環。


「永遠」も、

「すべて」も、

「ひとつ」も、


人間が証明できなくても。




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