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The days of weaving a tapestry with my feathers

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「ひめゆり」 と 「靖国」 ④

「ひめゆり」と「靖国」


この2つの映画を最も良く現している言葉は、

「静」 と 「動」

やと思った。

表面的に見ると、それは一目瞭然やと思う。

ひっそりと、ときには笑顔さえ見せながら、
沈黙と共に穏やかに話すおばあたち。
本当は話したくないと、もう忘れたいと思いながら、
何十年も、その思いを埋葬するように、
そっと土をかけてきた、おばあたち。

自分たちは正しいと、大声で叫びながら、
正義を主張し、まだ戦争は終わっていないと言わんばかりに、
旗を振り、軍歌を歌い、腰に刀を差して大勢で行進してる、軍服の人たち。
拡声器を通してまで、彼らには聞いて欲しいことがあるんやろう。



でも、ほんとは全く逆なんや。


靖国に参拝してる軍服の彼らは、完全に静止してる。
風が、通り抜けない程に、静止してる。
だからこそ、自分が動くんやろう。
風を感じるために。じゃないと窒息してしまうから。
叫び、自分はちゃんとここにいて、今生きてるんやと、
誰かに聞いて欲しくて仕方ないんやろう。
その刀はなんのため?ほんとは怖くて仕方ないんやろう?

おばあたちが、話しの間々に沈黙するのは、
その発狂しそうなほどの内面の怒りや悲しみを、
そして未だ昨日のことのように鮮やかにそこにある恐怖や痛みを、
そうすることでしか、抑え切れへんから。
おばあたちのその沈黙の中の叫び声を、何度も聞いた気がした。
彼女たちはきっと、もの凄く長い時間を掛けて、何度もそのあらゆる恐怖と向き合い、
話し合ってきたんやろう。
一人で、じっと。
「自分だけ生き残ってしまって、ごめんなさい」と、何度も何度も。


でも、ほんとはそんなもんじゃない・・・・全然ないんやろう。

「言の葉(ことのは)は語れても、言の根(ことのね)は語れない」

と言う一文があった。


ほんとは私が言えることなんて、何も無いんや。



                               つづく
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