The Threads of My Name    ~ truth, hope and... ~

The days of weaving a tapestry with my feathers

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |

京都


最近よく眼鏡をはずして歩く

あまり好きじゃない眼鏡の数少ないいいところは

いつでもどこでも はずせるところ

世界がちゃんと ぼやけるところ



週末は京都を眼鏡をはずして歩いた

目に見えないフィルターは何重も眼前にあることをさっぴいたら

何にも遮られることなく 自分の能力で世界を見てると思うと

なんだか誇らしかった


じっくり はっきり くっきり見ないといけないものなんて

ほとんどないような気がした


鴨川の明かりが たくさんのちいさな花火みたいに

まあるく 夜と川面に浮かんでた


きれいやったなぁ・・・


ぼんやりと見つめる世界は きれいやった

目を凝らすと よく知ってる街灯にすっかり変わってしまって

つまらないと思った


だって わからないじゃないか

私は街灯をみていたのかな・・・

私が見ている街灯と あなたが見ている街灯は全然違う

思い出も歴史も色も形も感傷も全然違う

それを定義し合って・・・定義し合っていると了解し合って

そのお互いが ときには何億という人がわかるように

ひとつの言葉にしていくこと

一点に集中させていくことなんやと思ってた・・・


名前を付けることは 本当に全く以て

恐ろしいほど無謀なことやと思う

そのすべてを結晶化させて

掌に握りしめる


手は繋がない方がいい

そこから引き剥がされ ない ことは

引き剥がされることとは 比べものにならないほど恐怖

どこにも行けなくなったら

どうするの?


でも それでも 私たちはそうして 笑い合って 慰め合う


「その人に近づいていくことしかできない」 ということ

それはきっとぼんやりしてると思った

そしてときにそれは 同一であることより

遥かに美しく輝く街灯であるかも知れない


焦点を敢えてはずして

それを越えていく



駅で 

おじさんが落とした万年筆を

若い女の子が拾いあげて 

小走りにおじさんを追い掛けて手渡してるのを見て

きれいなものを見たと思った


誰かのために走ることは

無条件に美しいと思った



美しいものをたくさんみた日やった






スポンサーサイト

ホメオパシー |
| HOME |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。