The Threads of My Name    ~ truth, hope and... ~

The days of weaving a tapestry with my feathers

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安心


安心

心安らかに

ease



今日は、テレビで素晴らしいお医者さんに会った。


難病と言われる病に罹った子供の番組やった。


その子は生まれる前から、脊髄が閉じずに背骨の神経が

剥き出しになってて、生まれてからも何度も何度も

その小さい体を切られて、縫われて、一人にされてた。


その子の両親は、いつか歩けるようにしてやりたいと

それだけを望んで、その繰り返される手術を一緒に耐えてきた。


でもある日、恐れていたことをお医者さんに言われた。

「歩くことは、諦めてください」と。


目の前が真っ白になって、何の気力も湧いてこなくなった・・・と

その子のお母さんは言っていた。

自分がもっと、適切な治療方法をとっていたら、

この子は歩けたかも知れない・・・

私が悪いんです・・・と。



その子は、歩けないまますくすくと大きくなっていった。

友だちもできた。

でも、同じようには遊べない。


「私はいいの。私はいいのよ。」と、

笑顔で言うその言葉が印象的やった。


私の感傷なんて、クソみたいやと思った。


その子のお母さんは、

でも、諦めなかった。

その間も、その病気に関するあらゆることを日々調べ、

自分にできる少しの運動や、体操をその子と一緒に続けてた。


そうして、ある時、その病気の世界的権威であるアメリカの先生を知り、

その子の病状を手紙やカルテ、診断書など送って、診てもらうことができることになった。


そして、まずはそのお母さんだけで渡米。

眠れない夜が明け、その先生と話しをする日が来た。


詳しい話しをし、これまでの病状や不安を話した後、

その先生が何よりも先にやったことは、

そのお母さんを、安心させることやった。

何が本当にその子の健康を害していて、

本当は何が起こっているのかを、

多分お母さんが今まで聞いてきた中で、

一番明確で、鮮明な言葉で。


彼の言葉には、全く揺るぎがなかった。

膨大な知識と経験に裏打ちされた、自信。

それを愛やと呼んでも、少しの違和感もないような気がした。


誰かを安心させるというのは、もの凄いことやと思った。

もちろん、安心はさせてもらうものじゃないけど。


真実をどれだけ表現することができるか。

それだけにかかってる。


自分がどれだけ、どんなレベルで、どんな深さで、真実を表現できるか。

それだけにかかってる。

今ある全部を引っ提げて。


もし、誰かを救うことができるとしたら、

それだけにかかってると思った。


「お母さんが、毎日毎日お子さんと一緒にされてきた運動や体操は、

これから手術をして、歩けるようになるために、

絶対にしておかなければならなかった、準備そのものでした。

本当にあなたは、素晴らしいことをしてきたんですよ。

本当に素晴らしいです。」


と、そのお医者さんは、お母さんに言った。

感動した。

その瞬間に、お母さんもその子も救われたと思った。

お母さんが救われないなら、その子は絶対に救われないから。


そのお医者さんはきっと、その瞬間にその子の病気を

癒したんや。

本当に癒されなければならなかった、病を。

手術なんてするずっと前に。


そのお母さんは、最後に言っていた。

「この子が、歩けるようになることが大事なんじゃなかった。

この子が『歩けること』を、望んでいたんじゃなかった。

本当は、『一歩前に踏み出せるようになること』を望んでいたんです。

たとえ、車いすだろうと、やろうと思えば何だってできる、

その一歩を踏み出したら、世界はどこまでも広がっていくということを

知って欲しかったのかも知れません。」


その顔は、もう今までの不安そうな心配でいっぱいのお母さんの顔じゃなかった。


私たちはきっと、病気を治したいんじゃないんやろう。

ただただ、安心をしたいんや。

気休めとは真逆にある、安心を。


そして、そう、自分で行かなあかんねんなぁ・・・

最後には、そこまで、自分で。




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麝香


若いとはきっと、あほであるということや。


本当に、いつ自分を顧みても、

恐ろしく未熟で、身の程知らずや。

誰に向かって、一体なにを言っているか、

ふと気付いたときに、

恥ずかしくて、

この世で最も小さな穴を探してしまう。


「よくも、偉そうに、そんなことが言えたよね・・・」


どれだけの人たちに、

わたしは許されてきたかと思う。

遥かに大きな手の平で、

遥かに遠く見通す深い目で。


きっと誰もが、そうであったように。


誰もが、愚かしく、果てしなく未熟や。

どこまで行っても、きっと。

いくら歳をとっても・・・



それでも、それでもいいと、

許されてるんやなぁ・・・


ありがとう と思う。

ほんとに、ありがとう と思う。




徒然なるままに | コメント:0 | トラックバック:0 |

月光浴

くらっとした

今夜の月は、圧倒的


空が しんと 澄んでて、月だけ 思い出したように 太陽の光を受けて

わたしが かぐや姫 やったら、きっと今日帰る


街中の明かり全部消えろ と、思った

ビルも、家も、車も、全部消えろ


今日だけ


月光浴




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対岸

「決心がつかないときは 大事なものを手放してみろ」


私の、大事なもの・・・

その人は、その言葉を伝えるために、

長年ずっと大切にかぶってきた帽子を、対岸に投げた。

大切な自分の一部のような、帽子を。


私は対岸に、何を投げるやろうか・・・



どうしたいかは、ちゃんと知ってる。

どこに行きたいかも、

なぜ行きたいのかも。


そして、絶対に大丈夫なことも。


私の目の前には、今必要なことしか無い。

それ以上はなにひとついらない。


今できることは、そんなにはない。

でもそれは、今しかできないことなんや。



「波」を立てるのは、いつも自分。

もがいて、溺れて、水面を叩く。

不安に飲み込まれて。

対岸なんて、どこにもなくて。



安心と不安は似てる。



ただ、いつも覚えていて欲しい

海底は、いつだって穏やかなんやって。



私は本当は、穏やかな海底に漂って、

水面にうつる光を眺めている存在なんや。


それは、いつも とっても綺麗に見える。


今も、今も・・・





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私が欲しかったもの

わたしがあの時欲しかったものは

もう二度と手に入らない


あの時のまま

今もずっと欠けてここにある


今はもう 何が欲しかったのか

忘れてしまった


わたしは あの時 それが欲しかったんや


そして わたしは知らない間にそれを補おうと

いろんなものを欲しがった


それらを手に入れて

安心に似た 不安を 同時に手に入れた


小さなちいさな花に

わたしはどんどん覆いをかぶせていったんや


守るために そして 見ないために


最も柔らかな わたしの 核



なくならない

なくならない



すべてのレベルでわたしを貫くそれが

満たされ

いつかそっと 埋まっていますように




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