The Threads of My Name    ~ truth, hope and... ~

The days of weaving a tapestry with my feathers

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バベルの塔

わたしが繰り返し繰り返し使う言葉たちは、

わたしを捕まえて離さない、鎖や。

これ以上、どこにも行けない。



言葉



何もかもに名前を付けて、この世界を限定していくんや。

名前を付けた瞬間に、なにかが意味を持ち出す。











ひとつの言葉をわたしたちは取り囲んで、かごめかごめをしてる。

言葉を、みてるんや。

その真ん中には、誰がいると思う?誰かが、いるんやろうか?



ヒンズー教では 『宇宙は音から生まれた』 とされている。

そして、キリスト教では 『はじめに言葉があった』 と。

あらゆる宗教で、同じようなことが云われてる。

きっと、宗教のうまれるずっと前の、偉大なる思想家たちの時代にも。



わたしたちは、話せば話すほど、いつもどんどん遠ざかっていく。


「繋がった」と、思うときはいつも、

言葉ではなく、

その奥に潜む、体温と同じぬるさの澄んだ水がお互いの中に流れ込んできたとき。



バベルの塔に出てくる神は、言語を分けたんじゃないような気がする。


きっと、すべての人を分けたんや。


言葉を使うことで。


ひとりひとりが、言葉を持つということこそが、

もうすでに、混乱なんや。

同じ言語だろうが、会話が成立している瞬間なんて無いに等しいやろう。

それだけ、ひとりひとりが持つ言葉の意味や力は絶対的に違う。


ひとつの言語を持つとは、本当はどういうことなんやろうか。



バベルの塔


旧約聖書「創世記」第11章 バベルの塔


11:1 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。

11:2 東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。

11:3 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。
   石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。

11:4 彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。
   そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。

11:5 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、

11:6 言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、
   このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。

11:7 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、
   互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」

11:8 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。

11:9 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。
   主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に
   散らされたからである。



人間だけが 「言葉」 をつかう。

意味を、立ち上がらせることが出来るということ。


人間が、なぜ万物の霊長といわれるのか・・・




『はじめに言葉があった』




言葉にしたとたんにこぼれ落ちるすべてと引き替えに


更にその何万倍もこぼし、落としながら、


でも、ただ一滴を垂らすために。



言葉



そしてその一滴で、奥に潜むすべてを、時にはそれ以上のものを引っ提げて、


堤防が決壊するように、


流れ込むもの。



準備ができていれば、いつでも。



baberu3.jpg

やっぱりひとつなんやと伝える、

血の通った、優しい波なんやんね。




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なぜ巡り会うのかを わたしたちは なにも 知らない

いつ巡り会うのかを わたしたちは いつも 知らない


どこにいたの 生きてきたの

遠い空の下 

ふたつの物語


たての糸は あなた

よこの糸は わたし


織りなす布は いつか誰かを

温めうるかも 知れない




なぜ 生きていくのかを 迷った日の後の ささくれ

夢追いかけ走って 転んだ日の後の ささくれ


こんな糸がなんになるの・・・

心許なくて 

震えてた風の中


たての糸は あなた

よこの糸は わたし


織りなす布は いつか誰かの 

傷を庇うかも 知れない


たての糸は あなた

よこの糸は わたし


合うべき糸に 出会えることを

人は 「仕合わせ」と 呼びます

             
            詩 中島みゆき




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何も話さないで


手を繋いで


ただ公園のようなところを


あるく、夢だ



誰?



大丈夫だと

その人は手で云う



わたしたちは照れもせず


同じゆるい暖かさで








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排除


久しぶりに、おっきめのゴキブリが出た。

今さっき、お風呂に入ろうとしたら。

しばらくぼーぜんと立ちつくして、凝視してしまった。

ほんとに、ほんとに、身体が固まるくらいに嫌いで、

ちいさい頃から、ゴキブリだけは、

もう、恐怖に近かった。

お母さんとギャーギャー言って、逃げまどうほどに。


どうしようかと、少し考えて、


決めた。


やっぱり殺そうと思った。


だって、逃げられたらまた怖い思いをしなくちゃならない、


いろいろと、後々、ややこしいし、


そして、なにしろ、私は今からお風呂に入るんやもん。


どうやって、殺そう・・・


殺虫剤も見あたらず。


敵は、風呂に中にいる。


今から、お風呂にはいるのに。


ゴキブリは邪魔だ。


おちおち、お風呂にも入っていられない。


存在が、恐怖。


とにかく、無条件で、怖い。



・・・・だから、私は殺そうと思ったんや。


目の前に、現れないで。

入ってこないで。


私の、お風呂に。


私の、家の中に。


私の、世界に。


「死ね」と、「死んでいい」と、思ったんや。


私が勝手に抱く恐怖心だけを手がかりに、

「殺す」と、決めたんや。



       私の頭は、フル回転でミクロとマクロを駆けめぐった。



『闘う』 ということ。


排除して、勝つということ。


安心を、得るために。



内と外。



「私の中に、入ってこないで!!」



免疫、葛藤、炎症、膜、皮膚、私、部屋、家、国、世界、地球、太陽系、宇宙


家の中のゴキブリを殺すということは、

ゴキブリを排除することで、安心を得られるということは、


その、最も深い根底では、


ユダヤ人を大量に虐殺した、ヒットラーとも繋がってる。


ルワンダの、ツチ族の大量虐殺にも。


そして、広島と長崎に落とされた原子爆弾にも。


全く、同じ事を、

私たちは違うレベルで、

日々の暮らしのなかで、

やってる。


「死ね、死んでいい」


そして、覚えておかないといけないことは、

私たちは、もう、どんなに頭で考えても、

どうしようもなく、

そういう存在やっていうこと。


「闘う存在」


今までに、ほんとにとても尊敬する男友達の何人かが、

全く別々に、同じ事を言ってるのを聞いた。


「戦争は、必要なんや」


女友だちは絶対にそんなことは言わない。絶対に。

きっと、眉をひそめて怒るやろう。


それを聞いたとき、そんなわけ無いと、なんて恐ろしいことを言うんやと、

思ったけど、今さっき、ゴキブリを殺そうとしたとき、その言葉を思い出した。

彼らが、どれぐらいの深さで話したかはわからん。

でも、その通りなんやと、思った。



戦争の意味を。


戦争を本当に無くすということの意味を。



「戦争は必要なんや」とは、正確には思わない。


ただ、戦争は無くならない。


もし、「戦争」は無くなっても、闘いは終わらない。


容易に想像できるやろう。戦争のない今この日本で、何が起こっているか。


人間は、どうしようもなくあらゆるレベルで闘ってる。

あらゆる恐怖と。


今も、今も、無条件に。


だから、ちゃんと覚えておかないといけない。


「戦争を無くす」とは、どういう事なのかを。



私の、日々の中の些細な心の動きが、すべての答えや。


「安心」を、したいんや。ただ。


「戦争を無くす」ことで。

そして、「戦争をする」ことで。


どっちにしても、闘う。

そのために、もうすでに闘ってしまう。


「何もしなくても、その存在のありのままで安心なんだ」 と、

ただ思える日が来たなら、

私たちは本当の「人間」に、なれるのかもしれない。



ゴキブリは、結局殺せなかった。

殺そうと思ったけど、逃げられた。


これからも、何度もきっと出会う。

その度に、私は闘うやろう。


「殺す」のか「殺さない」のか。


こうして、すべてが、本当はもう生きていくのも大変なぐらい

今も、今も、今も、

根源的な命題を私に突きつけてる。


そして、誰もに。


気付かないだけや。


私たちは、ただただ、鈍感なんや。





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友人たちへ

哲学


本来の意味での哲学というのは、

勝手に世界を解釈したものではない

具体的な現象から

自然に立ち上がってくるのが

哲学である

具象と抽象はもともと同じものである

本来、お互いがお互いによって

生み出されているものである


                  *具象 (concrete):固有の形体を有していること
                  *抽象 (abstruction):事物または表象の或る側面・性質を
                               抽き離して把握する心的作用

 



いつも、みんなに愛してると伝えたくて書くよ。


いつもいつも


もう、こんなにも愛されてるのに、


みんなへの想いは、溢れて溢れて・・・


こぼれ落ちた瞬間に、


きっと文字になるんやと思う。


いつも、そう思う。


読んでくれてるみんな、


ひとりひとりが


いつも、わたしの


「あなた」です。



みんなからの 「おめでとう」 は、わたしを導いてくれるやさしい光やと思った。


「大丈夫。こっちやで」 って。


思えば、いつもそうやった。


恐がりのわたしを、ただ傍でいつも見守っていてくれたね。


何をしていても、どこにいようとも。


あの頃は、足下をちいさく照らす光しか感じられへんかったのに・・・


毎年、毎月、毎週、毎日、毎時間、毎分、毎秒・・・・・・・そして、今まさに


どんどん、光はわたしを眩しいほどに照らし出し、世界を、宇宙をも包む



もう、絶対に見まちがえない



わたしは、今まで出会った人たちそのものや。


生まれ落ちて、お母さんに初めて出会ったときから。


あなたに出会うまで。


みんな、誰ひとり欠けることなく、


わたしのすべてです。



「すべて」 があるとしたら、それは 「あなた」です。



生まれてきて良かったと、心から思った。


あなたがいなかったら、わたしはきっと生きていても仕方ないと思う。


いつも、大袈裟でも、本当にそう思うねん。


この美しい世界をみんなで 「きれいねぇ」 と感じるために、


生まれてきたんやろう。



共に行こう



分かち合い



共に 行こう





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腐海


『私は、反戦運動などには参加しません。ですが、 平和活動には喜んで参加します』

マザーテレサの有名な言葉。


聡明な 揺るがない 確かな


そして、この言葉は私の中で、あらゆることへと繋がっていく。


摩擦

抵抗



病気とは、なんであるのか。

病気を治すということは、どういうことなのか。



病気を、治してはいけない。


・・・正しくは、病気は治すとか、そんな議論の先にあるものじゃない。

生きるということ自体が、きっと病気を内包してる。

・・・同じであるといっても、言い過ぎじゃないかもしれない。



あたたかく、いつもそっと傍にいるもの。

「ねぇ、あのね・・・・」って。



私たちは、恐ろしく盲目で、難聴やと思った。

その目で、その耳で、毎日毎日、一体なにを見、なにを聞いてるんやろう・・・・


病気がささやき、丁寧に両手で差し出すもの。

「ねぇ、あのね・・・・聞いて欲しいことがあるんだ・・・・」


何度も何度も、丁寧に差し出されてきた。



病気と闘う・・・

そんな病気と、闘おうというの?



病気はいつも、私たちを癒そうとしてる。

私たちが病気になる方向はいつも、

治癒していく方向なんや。


だから、病気と闘おうとする方向はいつも、

治癒とは真逆の方向。



病気はまっとうさせるしかない。



みんな、「やりたいこと」をただ「やりたい」やろう?

「ねぇねぇ、きいて~!!」ということを、誰かに聞いて欲しい。

想いはまっとうさせたい。

存在に気付いて欲しい。


私たちに宿る彼らが、私たちと全く違う性質を持っているわけがない。


そして、生きているだけで、

あなたとわたしが違うということが、

もう、病気なんやと思う。



摩擦と抵抗があるということは、ひとつじゃないということ。



人間は、自然という「ひとつ」のものから、

はぐれてしまった。

本当はみんな戻りたいって、泣いてる。

ひとりで、淋しいって。



私たちは、もう絶対的に淋しい。



みんなお母さんのお腹にいるときは、ちゃんとひとつやった。

すべてと。


でも、生まれ落ちて、

大人になりたいと、すくすくと成長するうちに、

摩擦と抵抗の世界へと入っていく。


それを葛藤と呼ぶ。


それが生きるということなんやろう。

「生きている」と、唯一感じさせてくれることなんやろう。

葛藤がなければ、生きていても仕方がないかもしれない。


「ひとつ」じゃないことへの葛藤やのにね。

ひとつじゃ無いことを知るために、

葛藤がある。


だから、あなたに会うんや。


そして、同時に「ひとつ」というものを学んでいく。


ちゃぁんと知ってたのに。


知っていたものを、忘れていきながら、

また別のもののような顔をして、それはそこにある。


そして、私たちはそのたった今忘れていったものと、


全く同じものを


学ぼうと、「生きる」。


ひとつひとつ、受け入れていくしかない。

何度も何度も、同じように

ひとつずつ、統合していく。


「ひとつ」に、なる。


病気とは、もう一度「ひとつ」へと戻っていくための道しるべやと思う。

いつも、傍で、あたたかくささやく。



「こっちだとおもう」・・・って。



何よりも辛抱強く、何度も・・・何度も・・・


彼らには、私たちを苦しめるつもりなんてこれっぽっちもない。


苦しいのは、


彼らの声をすこしも聞いてあげられなかったから・・・


・・・ごめんね




「ねぇ、あのね、聞いて欲しいことがあるんだ・・・」


『うん。そうだね。 本当はしたくなかったんだ・・・
 
 ごめんね・・・ちっともしたくなかったよ・・・
 
 本当は、淋しかったんだ・・・ただ、淋しかったんだ・・・

 一人は怖かったんだ・・・』


「よかった・・・ありがとう。」



気付き

許す


いつも、許して欲しい・・・


誰よりも、自分に。


ありのままでいいと、わたしに。


それが治癒の方向なんだろうと、今は思う。



生きるとは「ひとつ」から「ひとつ」へと向かう旅や。


死から死へ、そして、生から生へ。


すべては繰り返し循環する



繰り返し


循環する





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