The Threads of My Name    ~ truth, hope and... ~

The days of weaving a tapestry with my feathers

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まちがいをおそれない

目に見えるすべてはやさしさと 遥かな君に伝えて
(流れ星ビバップ/小沢健二)



間違うことは、怖い。

なんで怖いんやろう・・・・

「自分」を知るんや。
そんなこともできない「自分」を。
ほんとはもっと大きいはずなのに、
これっぽっちやって。


情けない日々が、続いた。

感じたのは痛みと恐怖やった。
体感するということは、もの凄いことや。


でも、もう逃げない。
そう決めた。

痛みや恐怖や悲しみがあるのは、
わたしが、私を覆う目には見えないその殻を
ぐいぐいと内側から押してるからやと思った。

ほんとは、その殻に触れることすら怖いよ。


でも、その先に行く以外は、わたしにはもう何もない。


知らない世界とわたしの世界を、隔てる殻。



「壊せ」




今日部屋を掃除していたら、少し前に大切な友人がくれたコピーが目に止まった。
もらったときには入ってこなかったものが
勢いよく流れ込んできた。

彼は、この瞬間のためにこれをくれたんやろう。
ありがとう。

  人間らしさとは、「間違うことができる」ということ。
  間違えたり失敗したりできなくなったら、人間らしくなくなってしまうということです。

  人間は、他の動物がするように本能によって決められたレールを歩くだけでなく、
  そこから外れて、新しい道を自分で探し始めたのです。

  つまり、「自分で選ぶ」ことを始めたのです。
  
  ところが「選ぶ」ということには、間違う可能性が含まれます。
  私たち人類は危険を冒してまでも、なお「自分で選ぶ」道を選択してきたのです。
  決められた通りに歩くのではなくて、何度も失敗しながら、
  そのつど新しい道を切り拓いてきたのです。

  自分を育てること。失敗してもいいから自分で選ぶこと。
  決めてもらうのではなく、迷いながら自分で選ぶこと。
  転ばないようにではなくて、転んだらそのつど起きること。
  何度でもそのたびごとに起きあがること。
  そうした「自分」を育てること。

  もし、そうした「自分」が育っていなかったら、人間として・人間らしく
  生きることができません。
  そうした「自分」がなかったら、その人の人生を歩くことにならないと思うのです。

そして、最後に森有正さんの講演録『アブラハムの生涯』からの抜粋があった。

「これは全く一つの冒険であり、荒波に乗り出す航海のようなものです。
よい港に着くことができるかどうか、これは着いてみなければ分からない。
たった一つの羅針盤、羅針盤らしきものは、自分が内的に促しであると感ずることと、
またそれを貫こうとする意志だけであります。」



勇気が、湧いた。

勇気は、湧くんやな。

涙みたいに、胸のあたりからじわりと。

でも感触は涙とはぜんぜん違う。

かっちりと、頼もしい。まるで男友達のように。


勇気は、湧くんや。きっと、いくらでも。


私の中に、とうとうと豊かに流れる水脈。

掘りあてられるのを、いつもただ静かに待ってくれてる。


いつも そこにある。


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